〜不採用になった小説シリーズ〜 『赤い髪の乙女』 第一話 訪れた街  乾ききった大地を、緑にあふれる草原を、魔物の棲む森を、争いと平穏の混在する町を、彼女は一人で潜り抜け、生き抜いてきた。昨日も、今日も、そして、これからも。一人でいる事に寂しさを感じることも有ったが、一人でいる事の方が何倍もの気楽さがあり、なによりも、財宝は自分のためだけに存在すると思って旅を続けている。戦士としての剣の技術は一流であり、経験も知識も豊富で、それなりの美貌も所有しているのに、信頼できる仲間も、恋する異性も存在しない。風になびく美しい赤い髪は、かろうじて肩に届くくらい短く、颯爽と歩く後姿は、男性と誤解されるに十分だった。 以前の宿泊地であった街から十日ほど旅を続け、次に見える街までは後半日ほど。丘の上から見下ろしながら、歩みを止めず、遠くに見える白い雲など興味もなく、照り付ける太陽の下、多少の疲れを表情にのせながらも、歩調は早かった。 到着した街はマタドゥーレと命名された古い街で、水資源が豊富にあり、農耕生産力に優れた人口2万人以上が住む、巨大な街である。今は町外れの田畑が広がる景色だが、主要街道として利用される道を歩く彼女と、すれ違う人達の姿は千差万別である。ただ、殆どの人が馬車を利用し、殆どの歩く人は農家の姿で、彼女の姿はその場所では異色にも思える。我関せずとばかりに、街道のそばを流れる川のせせらぎに耳を傾けて歩き続ける。何度かすれ違う馬車のうち、その一台が彼女の横で停車した。ただし、この馬車は前方から姿を現したのではなく、進行方向は彼女と同じであった。 『そこの兄さん、疲れているようだが街まで乗っていくかね?』  呼び止められたのが自分だとわかって振り返ると、呼び止めた相手が目を丸くした。 『兄さんじゃなくてお嬢さんだったか。』 『・・・別に気にしてない。』  と応えるその口調は、兄さんに近かった。 『まぁ、ともかく、疲れているなら乗っていかないかね?』 『・・・無料(ただ)か?』 『無論だ。こんな事で料金(かね)を取る気などないね。ただ、宿泊するならうちの宿を薦めるだけだよ。』  その返答に気になって馬車の荷台を見ると、数十個の樽が規則正しく並べて積まれていた。どうやらその宿に帰る途中らしい。無言でその馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。 『若いようだが、旅人だね。それも結構苦労しているように見えるが。』 『・・・いつも、こうやって客を探しているのか?』  質問とそれに対する反応は、会話として成立していないが、相手の質問に答えることで会話を続けることにした。 『そんなことはない、偶然見かけたから声をかけただけだよ。それに、この辺りをただ歩いているなんて旅人ぐらいしかいないからね。』  馬車は速度を増し、歩く速さの何倍もの速度で街が近づく。強い風が吹くと、自然と目が細くなる。陽射の強さなど、それほど気にならなくなっていたが、横からの視線に気が付いた。 『なんだ?』 『あ、いや、あんたが女だった事にも驚いたが、結構な美人じゃないか、だから目を保養してたんだよ。』  変に照れた笑いを見せて答えた相手に、鋭い視線を突き刺す。相手は誉めたつもりで言ったのだろうが、美人と言われることは、彼女にとって嬉べなかった。『強そうだ。』と言われた時には、素直ではない笑顔を見せていたが。  その後の会話はなく、馬車は牽引する二頭の馬を先頭に、街へと進む。地面が土の道から石畳の路へと変わると、景色も田畑から小さな民家が立ち並ぶ住宅街へと変わった。その建物の屋根は次第に高くなり、民家は次第に姿を消すと、変わりに現れたのは二階建て以上の大きな建造物である。街道沿いの殆どの建物は、何かの商売を行っている店であり、人通りも激しくなると、馬車の数も自分達以外に多くの数が行き交う。人の姿は有る程度がその服装で判断でき、その中でも一つ気になる服装をする者がいた。ここまで乗せてきてくれた男に質問をする。 『この街には軍隊がいるのか?』  ぶっきらぼうな口調で質問すると、男の方はその言葉遣いを気にする事無く、客になってくれるかもしれないという精神で、できる限り丁寧に、笑顔で答えた。 『軍隊と言うよりは、私兵集団ですね。この街はグーテンベルク帝国から最も離れた街で、一時は軍隊が駐屯していたのですが、あまりにも平和過ぎるので三年ほど前に軍隊を移動させてしまったんですよ。ところが、半年ほど前から魔物の出現が確認されましてね、不安を覚えた貴族達が腕に自信の有る者を集めて、自衛団を結成したのが始まりなんです。ただ、最近は魔物の退治や自衛と言うより、貴族同士の力比べとなっていますが。』 『ほぅ・・・面白そうな話じゃないか。』 『面白くなんかないですよ。確かに犯罪は減りましたけど、貴族同士の戦いに巻き込まれて死んだ人だっているんですから。』 『そういうのは、普通に犯罪ではないのか?』 『・・・どういう意味です?』 『だから、人を殺したら、犯罪者として断罪されるのが普通ではないか、と思うが?』  それに対する返答を得る前に、馬車は大きな交差点を左折し、再び辺りの景色が変わった。緩やかに下る坂道で、遠くまでよく見渡せる。ぽっかりと浮かぶ雲に、視線を固定させた彼女に、馬車を動かす男は、やっと質問に応じた。 『それは・・・確かに人を殺せば犯罪かもしれないのですが、貴族を裁ける人なんてどこにもいないですよ。でも、グリューネ伯爵の率いる"紅翼の騎士団"はこの街でも一番人気の有る自衛団で、そういう事件や問題を解決してくれる我々にとっての唯一の味方なんですよ。』 『グリューネ伯爵と言うと、300年前の大戦で活躍した英雄の一族か。』 『えぇ、良くご存知ですね。』  馬車は下り坂にもかかわらず、ゆっくりと速度を落とした。大きなポプラの木が二頭の馬の真横にまで接近したとき、馬車は完全に停車する。前方はこれ以上の下り坂は続かず、ただの平地で、しかも石畳がない。 『ここが家の宿です。』  そう言うと、馬車を降りて、二頭の馬をロープでポプラの木に繋ぎ止める。ここまで乗せてきた彼女に、声をかけようと振り返ると、予定の場所に姿はなかった。慌てて辺りを見回すと、既に宿の入り口に立っていたのだ。 『ほぅ・・・一泊800リアとは格安じゃないか。前の街ではこの倍は必要だったが。』 その姿を見つけて一息吐き出すと、小型の樽を一つずつ両脇に抱え、荷降しをしながら笑顔で応えた。 『安さには自信が売りますよ。飯だって美味いし、ふかふかのベッドも有ります。ただ、部屋は狭いですけどね。』 『・・・どうせ長居する気はないが、今夜は止めさせてもらうよ。』 『ごゆっくりと!』  女性の姿は宿の中へと消え、樽を運ぶ男はその後を追う様に同じ場所へと向かった。既に中にいる女性は、カウンターで宿代を前払いし終えたところである。料金を受け取った女性店員が、宿に入ってきた男に気が付いて、儀礼的な態度で言った。 『あ、お父さんお帰り。』 『あぁ、ただいま。』  宿帳に名を刻んだ女性は、宛がわれた部屋には向かわず、カウンター横の小さな食堂らしき場所の一番奥のテーブルに席を決め、少々荒っぽく椅子に坐った。 『おぃ、メグ!』 『わかってるわ。』  視線すら合わせず、親子らしい二人は何か様子が変だが、客の前ではそのような態度を見せないように注意した。小走りに近寄って、注文を取ろうと声をかける時には普段通りの営業スマイルである。 『お客様、何にいたしましょう?』 『・・・小さくて建物は古いが、なかなか綺麗な店じゃないか。そんな店ならコーヒーぐらいあるだろ?』 『・・・コーヒーでよろしいんですか?』  店が古いと言われた事に対して反応が遅れたのではなく、コーヒーを注文する客が珍しかったから、一瞬、返答に詰まった。わざわざ確認したのは、自分が間違えたのかもしれないと言う、僅かな疑惑を解消するためだった。 『あぁ、それと・・・親子喧嘩なら他でやるんだな。』  そう言われたことよりも、なぜ喧嘩をしているのがわかったのか、その方に驚きを隠せなかった。だが、ちょっと勘の良い者なら、誰でも気が付く程度では有る。 『・・・すみません。』  申し訳なさそうに俯いてしまった女性を見る事無く、注文の催促すると、2分以内に温かいコーヒーがテーブルに置かれた。まだ夕方にならない時刻では有るが、宿の中では他の客の姿を見かけず、作業を続ける親子の足音だけが聞こえる。静かな方が良い―――そう思っていたのだからこそ、余計なことを言ったのである。  カップに注がれたコーヒーがなくなったころ、宿の外は、西に傾いた陽射しがさらに傾斜を低くし、青過ぎた空が深い雲に覆われ始めた。宿泊客の姿が俄かに騒がしくなると、彼女一人だけだった食堂は、旅人や冒険者風の男達でいっぱいになった。薄暗い屋内では、女性が一人でいると言うことに気が付く者も少なく、存在に気が付いたとしても、女性かどうかまでは気が付かない。 『おぃ、あいつらがまた小競り合いやるらしいぜ。』 『本当か?』 『あぁ、さっき直属のやつに金払って教えてもらったんだ。また、臨時で兵隊を雇うかもな。』 『奴らも物好きだな、そんなに戦争が好きなら魔物でも退治すれば良いのに。』 『街の警備は紅翼団がやるだろ。そんなことよりも今度はどっちにつく予定だ?』 『そりゃ、たくさん報酬(かね)を出すほうに決まってるだろ。俺達だって死ぬかもしれないんだからな。』 『それにしても10日間で3度目だぜ。黒陽団と白月団はよっぽど仲が悪いんだな。』  彼女から少し離れたテーブルで、三人の男が会話をしている。小声で話すような事はしていないので、宿の出入口に立っていても、嫌でも聞こえてくるだろう。 『で、いつぐらいだ?』 『早ければ明日にでもって事だったが、明日は都合が悪いんだよな。』  そこまでは普通の声であったのに、ここからは小声になる。周りの雑談にかき消され、何を話しているのか良くわからなくなった。別に詳しく聞いていたわけでもなかった彼女は、宿の娘を呼びつけると、ありきたりなメニューを注文し、それがその日で唯一のまともな食事となって、半時間後には彼女の胃袋に落ちていた。もともと、ここで情報を集める予定ではなかったので、過度な期待はなく、疲れを癒すための温かいベッドを身体が求めていたに過ぎないのである。 第二話 宿屋の娘  夜の帳が降りて数時間後の、月明かりのない住宅街からも外れた場所に、十人ほどの男達が集まっていた。闇夜に身を隠すように作られた黒いローブを頭からかぶり、密談を交わしている。彼らの名前も素性も明らかになることはなく、大雨となった翌朝に事件は発覚した。黒陽団を率いるリーダー格の男が殺されていたのだ。この出来事は瞬く間に街中に広がり、多くの者が疑う事無く、白月団が犯人であると決め付けた。この二つの騎士団の仲の悪さは有名だったからである。だが、前日までの疲れが癒えなかったのか、午後近くまでベッドから離れられなかった彼女は、起床後にこの事件を知って、小さな驚きと大きな興奮を、その表情に浮かべた。 『街の外はこの雨よりも大騒ぎなんですよ。』  そう言ったのは、この宿屋の一人娘で看板娘でも有るメグという名の女性である。遅すぎる朝食は昼食兼用になったが、一食分を補うほどの量を注文し、それを食べている最中だった。ただし、これは宿代とは別料金になっている。 『それは、ここに来た甲斐があったってもんだな。』 『お客さんはここで傭兵になる為に来たんですか?』  大雨と事件とのせいで、客は少なく、話をする余裕と言うか、他にする事がなくて暇だったから訊ねてみた。特に深く追求するつもりなど全くない。 『・・・三割ほど正解だな。』  微妙な数字を提示したので、追及するつもりはなくても質問してみたくなる。 『もしかして、魔物退治とか・・・ですか?』  朝食兼昼食の大盛りスパゲッティを口に入れた直後であったので、すぐには応えなかった。マタドゥーレ周辺では高級品であると言うことを知っても、コーヒーを飲むのはやめられず、スパゲッティをコーヒーで流し込むようにして胃袋に落とした。 『冒険者に興味でもあるのかい?』  質問に対して質問で返された時の視線の鋭さに、僅かな恐怖を感じて、洗い終わった皿を片付けようと手にする時、食器が小刻みに踊った。 『い、いえ・・・そんなつもりじゃ・・・。』 『ふーん・・・。別に知りたいなら教えてやっても良いぞ。なんとなく、あんたは昔の俺に似ている。』 『昔の・・・?』 『別に宿屋を経営していたわけじゃないがな、喧嘩はしても親父を尊敬できるだろ?』 『え、えぇ。』  前日はぶっきらぼうな人という印象があったので、これほど話をしてくれるとは思わなかった。意外さに驚きつつも、どうせ急いでやらなければならないような仕事はないので、その話にのめり込んだ。 『ひょっとして、お客さん、私と同じ様に母親が・・・。』 『俺の勘が鈍ってないんなら、あんたとおんなじさ。魔物に殺されたんだ。』  看板娘は営業用の笑顔など忘れて、普通の会話をする女性となっていた。話し相手は宿泊客で、失礼な言葉を使わないように注意すると言う義務感は僅かに残っていたが。 『別にそれが理由で旅をしているわけじゃないけどな。魔物なんて人間と同様に星の数ほどいやがる。それをすべて滅ぼすなんて無理さ。』  そこまでで喋る為の口は、中断されていた食事を再開する事に使われると、相手の方が話す番となった。順番が決められていたわけではないが、そんな感じにさせる空気が流れているのだ。 『私のお母・・・母親は、私の目の前で魔物に殺されたんです。15年ほど前なんでかなり幼かったんですけど、あの時の事は今でも忘れません。たびたび夢に見る事もあって、目が覚めたら泣いていた事もあります。』  今度は慣れた手つきで洗い終えた食器を片付けると、向きだけは客の方向だったが、視線は自分の足元に向けられている。 『だから、お父さんは、一人でこの宿屋を経営して、ずっと私を育ててくれたんです。』 女性と言うよりも、少女らしさが残るその表情に、何も出来なくて悔しい思いをした時の自分の姿と重ねた。今の自分なら母親を死なせる事無く、魔物から守る自信は有るが、そう考えることが無駄だと言うことを知っている。 『私は料理作るぐらいの事しか出来ないから、旅に出るとか、戦士になるとか、そう言うのは無理なんです。』  その時、ここに来て男性と間違えられた女性は、初めての笑顔を見せた。とても穏やかで優しい感じの有る、美しい笑顔だった。今のこの表情を見たら、誰もが女性だと思うだけでなく、一目で惚れる者も現れるかもしれない。 『料理が出来るなんて女としては素晴らしいじゃないか。俺なんて自分の飯だって作れない。非常食用の干し肉を持ち歩いているだけだからな。それに・・・このスパゲッティは絶品だな、あんた良い嫁になれるぜ?』 『お客さんが男性なら・・・ね。』  突然降って湧いたような、親近感に二人は笑いがこみ上げた。我慢する必要はなく、お互いを同情し合う必要もない。たった数分の会話で、これほど解り合える事も有ると言う事実がその場に残っている。外での大雨など気にならない心地良さが、その空間を支配していた。 『・・・そういえば、ちょっと気になったんですけど、このエルテリーゼって偽名ですよね?』  それは宿帳に記入した名前の事で、偽名を使用したところで問題はないが、これほど解り易いものはなかったのである。エルテリーゼとは300年前の大戦で活躍した人達の一人に該当する名前で、女性が冒険家や戦士として世界を旅すると、その人にあやかりたいと言う気持ちから、頻繁に使用されるようになった有名な偽名であった。ちなみに、グリューネ伯爵と結婚したと言う噂も有って、結婚願望の有る女性にもしばしば使われる。 『あぁ。一応な、旅をしていて宿屋にまで襲ってくる馬鹿がいてさ、それ以来偽名を使うようにしているんだ。宿ぐらいゆっくりしていたいんでね。』 『そんなに危険なんですか?!』 『場合によっちゃあ危険な事はあるさ。はっきり言えば安全な旅なんて皆無だけどな。』『そ、そうですよね・・・。』 『幻滅したかい?』  食べ終えた後はコーヒーに手を伸ばし、カップに口をつけるが、視点は固定されたまま相手を見ている。 『・・・やっぱり、外の世界って私には無理かも。』  幻滅した相手は目の前の女性ではないのはすぐに理解できる。その表情は自分の無力さを嘆いているのだ。 『この街は外に出なくても危険みたいだけどな。』  それは、今朝一番で街に広がったニュースの事である。黒陽団のリーダー格と言われる男ならば、かなりの剣の技倆(うで)であるはずなのに殺されているのだから。 『最近、喧嘩が多いんです。昼間ならそれほど大きな事件はないんですけど、夜になると・・・。』 『なるほど、夜か。コソコソしないと喧嘩も出来ないような連中は、そうなるだろうな。しかし、こんな大きな事件が発生したからには、近いうちに戦争になる・・・いや、戦争は大袈裟過ぎるか、小競り合いってところが、妥当だな。』  そこまで言い終えると、突然周りを見回した。 『あんたの親父さんは、この雨の中を出かけているのかい?』 『え、えぇ。今日は特に用事はないはずなんですけど、多分、昨日の夜に起きた事件を聞きまわっているんじゃないかなぁ・・・。私のお父さん、結構な野次馬だから。』 『そうか、そいつは手間が省けるな。後で訊いておくか。』  コーヒーを飲み干すと、椅子を蹴るようにして立ち上がる。 『今は俺とあんたの二人だけなんだな。』 『?』  突然の脈絡のない台詞に、少し戸惑ったが、次の言葉で全てを理解した。 『ちょっと汗を流したいもんでね。』 『あ、そう言うことでしたら、少し待っていただかないと準備が出来ていないんです。』『水がないのか?』 『掃除がまだでして・・・済みません。』 『じゃあ、部屋で待ってるから終わったら教えてくれ。』 『わかりました、急いで準備しますね。』  二人はそれぞれの方向に、片方はゆっくりと歩き、もう片方は急ぎ足で歩く。一階の食堂兼用で酒場とカウンターも兼用している場所には、誰一人いなくなった。静けさが増すと雨音が増大し、和んだ空気の波長は、一瞬にして消え去った。  街の外は強い雨が降り続き、一般の人が歩く姿は殆ど見えない。当然、今現在は昼間であるが、部厚い雲の層が空を覆い、太陽の光は地上に届くことがない。そんなどしゃ降りの中を、小規模の集団となりつつ一箇所に集結している。そこに集まる全ての者が武装し鋭い眼を光らせていた。50名を超えるほどの人数が集まったとき、一人の男が大きな声で叫んだ。 『先の合戦で敗れた奴らは、ついにゲリラ戦と言う姑息な手段を使った。これに対し、我々は制裁を加えねばならない!』  その声は太くて低く、この場に集まった者達の鼓膜を強く叩いた。 『次の標的となるまで待つなどと言う消極的な方法などない。より積極的に、より強固に、我らの正義を示そう!』  それはまさしく、決起を現す集会であり、論議による平和的解決を完全に拒否したと言う意味も含まれる。犯人など誰であるかなどと言う個人特定も不要で、その日になって臨時で雇われた者も含まれてはいるが、勝利せねば報酬は受け取れない。それ以上に、先制攻撃を受けたのだから、反撃すると言うのは当然の理由でもあった。強い雨は降り続き、石畳となっていない道を泥の沼のように変化させ、事態をも泥沼化させているような錯覚を覚えさせていた。 第三話 騎士団vs騎士団  黒陽団のメンバーと、その日限りの雇われ傭兵との混成部隊は、白月団の主要メンバー達が多く存在する住宅地区へと行進する。歩調に乱れが有るのは意思の統一性がないからであるが、威圧感は存在し、目的もはっきりしている。雨は止む気配を見せず、進行する彼らの服や靴をじっぽりと濡らしていた。  白月団のメンバーも大きな屋敷に集結している。昨日の事件の真相を探るためであったが、今、この様な時に大人数が集まれば、何かを画策していると疑われても仕方がない。その為、密かに集まるように指示はしていたが、この大雨では外を出歩く姿を見ただけでも何か有ると思う者は少なくないだろう。  黒陽の騎士団、白月の騎士団、紅翼の騎士団。これらの団体は全てが一人の貴族を中心に創設された私兵の治安部隊である。だが、現在でも真面目で誠実に活動を続けているのは紅翼団だけで、黒陽団と白月団の仲の悪さはこの街では有名過ぎる事実であり、過去数回もの市街戦も行われていて、紅翼団の存在がなければ、どちらかが壊滅するまで続けられるだろうと言うもっぱらの噂になっていた。黒陽団も白月団も、紅翼団を好んでいない。むしろ嫌っているのだ。だが、逆の視点から言えば、紅翼団が存在するからこそ、対立と抗争だけに熱中できると言う事実も有って、紅翼団を巻き込むような事はしなかったのである。だが、今回に限ってはそう言うことで戦いを中断し、引き上げる事にはならないだろう。目的が仇討ちであり、犯人は白月団に関わる全ての者なのだから。 『ユリウス隊長、ボルグ男爵の屋敷の周りには人影は有りませんが、屋敷の中にはかなりの人数がいると思われます。』  部下の報告を受け、確信を持って頷いた。 『そうか、やはり奴等は何か姑息なことを考えているんだろうな。闇討ちで殺したぐらいだ、どんな卑怯な策でも使ってくるぞ。油断するな。』  ユリウス隊長は元々前任の指揮官であり、闇討ちで殺された男の代わりに部隊を率いてここまでやってきた。スタイン男爵が創設した黒陽の騎士団において、ユリウスは最もスタイン男爵に信頼された男である。スタイン男爵の父親が、捨て子であったユリウスを拾った理由は定かではないが、この二人を親友同士と呼ぶにふさわしいだけの信頼関係を持たせることに成功した。ただ、悪童としても有名になったが。 『さて、この大雨が味方して、奴らはまだ我々に気が付いていないだろう。ここは先手必勝、一気に攻め込みボルグの野郎を討つ!』  ユリウス隊長が宣言すると、混成部隊の兵士は一斉に剣を抜いた。閉ざされた大きな門の前で手に持つ剣の先端を屋敷に向けた。 『突撃!』  強制的な開門と同時に、幾人もの兵士が屋敷の中庭になだれ込む。この音で、屋敷内に集まっていた白月団の者達が気が付き、慌てて迎撃に兵士を向かわせる。黒陽団と白月団の刃が直接激突したのは中庭よりも奥に入った、玄関先である。殆どの兵士が雇われた傭兵で構成されている白月団は、一対一の戦いにおいては優位に戦うことが可能だが、試合の舞台上ではない戦場では、一人で勝てない相手なら二人で戦えば良いのである。徹底したコンビ攻撃を指示したユリウス自身は、一人で二人を相手に戦っても強引に突破するだけの技術と経験が存在し、また、それを証明して見せている。  白月団の実践指揮官として雇われている男は、女好きで有名なアルバトルという男で、屋敷内に侵入する黒陽団を見ても平然と腕を組んで二階から見下ろしていたが、血だまりに沈む味方の姿を何度も見ていては、黙っていられない。 『なにをやっとるかっ、屋敷の中に誘い込んで袋叩きにしろ!』  実際問題として、屋敷内に侵入した黒陽団の兵士は、屋敷の中で待ち伏せていた白月団達の一斉攻撃に何もする事が出来ないまま血の海を作っている。進入しても戻ってこない仲間の事が気になったユリウスは、屋敷内への侵入を一時的に止めることにし、玄関前の場所で雨に打たれながら、敵が出て来るのを待った。だが、5分経過しても10分経過しても、誰一人出てこない。どちらも、強行突撃すれば、待ち伏せされた敵に袋叩きにされるとわかっているのだ。 『持久戦に持ち込む気か。それとも・・・。』  紅翼団が、治安目的で戦を制止した事は過去にも発生したが、それは民間人に被害が出たからで、負けそうになったから助けを紅翼団に求めたと言う事実は無い。事実が無いからと言って、今まではそうであっても、今後もそうなるとは限らないのが戦場である。 『屋敷の門を閉めて、外部から邪魔をされることが無い様にしろ。』  指示を受けた兵士が門を閉鎖し、外部からの侵入が無いように監視する事となった。そして、意外にも膠着状態は長く続く事となったのだった・・・。  宿屋で汗を流し、身も心もリフレッシュした女性は、雨音に耳を傾けながら、カウンターで静かにコーヒーを飲んでいた。何か考え事をしているような雰囲気で、宿屋の娘であるメグは話し掛ける事無く、同様にコーヒーを飲んで静かに本を読んでいる。そんな沈黙は荒々しく宿に入ってくる一人の男に、いとも簡単に破られたが。 『ちょっと、お父さん!お客さんがいるんだら静かにしてよ。』  ずぶ濡れで戻ってきた父親に対してそう言いつつも、乾いたタオルを手渡す。受け取って顔を拭くと、椅子に坐ってから娘に言った。 『やっぱり昨日の事件の犯人は白月団かもしれんね。』 『本当に野次馬根性丸出しなんだから、いつか事件に巻き込まれて死んじゃっても心配してあげないわよ!』 『まぁ、そう言うなって。ちゃんと紅翼団には報告したし、いつものようにすぐ終わるだろ。』 『それはないな。』  そう言ったのは、沈黙を破られて少し不機嫌になった客である。 『どう言うことだい、お客さん?』 『俺は以前のことを知らないが、今回の発端は昨日の暗殺事件が原因なんだろ?』 『そうだけどね、何か特別な理由でもあるのかねぇ。』 『十分に特別な理由になってるけどな。』 『へ?』 『わからないのか?これは仇討ちなんだろーが。仇討ちってのは、刺し違える覚悟でやるもんだぜ。あんたの娘さんから大体の事は聞いた。そして、暗殺事件が原因で発生したことが最大の理由なら、やることは一つだろ。』  宿屋を経営する親子二人は、女性客の分析した話を聞いて、もっと詳しく聞きたいような表情をしている。親子そっくりだ。 『・・・犯人は白月団。だが、白月団の誰が行ったかはわからないとしても、それを指示したのが白月団のリーダーであるなら、白月団全てが仇となり、全滅させるつもりで戦うだろう。まぁ、そこまで行かなくとも、騎士団を創設した親玉を、要するにその貴族を殺せば終わるけどな。だけど、殺される側だって何の抵抗も無く殺されるわけがないからな、ギリギリまで抵抗して、しかも逃げられたら、街全体を巻き込むほどの戦いになるかもしれないぜ。』 『紅翼団がいるんだ、心配は無いよ。』 『・・・確か、紅翼団でリーダーをやっているやつは女だったよな?』 『知っているのかい?!』 『まぁな。』  彼女はゆっくりと椅子から立ち上がり、まだ飲み終えていないコーヒーを一気に飲み干すと、親子に向かって言った。 『ちょっと出かけてくる。夜には帰るから俺の部屋は残しておいてくれ。』  この大雨でも表情を変える事無く、ゆったりとした歩調で宿を後にした。その後姿を無言で見送った親子は、一度視線を合わせた後、もう一度その後姿を探したが、既に雨の飛沫で見えなくなっていた。  紅翼の騎士団本部で、部隊を率いる女性リーダーが、部下の報告を待っている。一人で使用するには大き過ぎるテーブルに両腕を乗せ、右手の人差し指でテーブルを何度も叩いていた。報告の予定時刻を過ぎても、部下が戻らないのである。扉の叩く音が聞こえた時、開かれる扉に視線を向け、待ち続けた部下の顔を予想した。だが、そこには部下とは全く異なる姿と顔を持つ者が現れたのだった。 『よぉ、バレッタ。久しぶりだな。』  見覚えの有る姿とその声に、懐かしさを感じるよりも驚きが上回る。 『エルダ?!』 『俺の名前を覚えていてくれたんだな。まぁ、昔は仲良く喧嘩した仲だからな、忘れたくても忘れられんだろ。』 『・・・そんなことを言うためだけに来たわけじゃないわよね。』 『察しが良いな。』  にやりと笑った二人は、双方とも、相手をどうやって利用しようか考えていると思ったのだ。ただ、エルダと呼ばれた女性は利用されるのを覚悟して利用するのだ。その点だけが相手と違っている。 『さて、時間もあまりないようだし、早速本題にはいらせてもらうが。』 『私には拒否権があるのかしら?』 『ないだろうな。』  あっさりと言いきったが、意地悪さが感じられないのが不思議だと思うバレッタは、相手の話を聞くことにした。どちらにしても、報告待ちの状態であり、待たされ続けてイライラしていたから、丁度良い時間つぶしにはなるのだ。しかし、その話を聞いたら時間つぶしになったなどと言う感想ではおさまらないほどの、驚きを得る事となった。 第四話 それぞれの思惑  ボルグ男爵家の屋敷内では、黒陽団と白月団の戦闘は継続されている。継続されていると言っても、戦闘自体は膠着状態が続いていて、合計して十人ほどの死体が無造作に転がっているだけだった。屋敷内部への強行突入を阻止するのに成功したのか、強行突入の無謀さを悟ってすばやく引いたのが功を奏したのか、今の段階では判断できない。 『これじゃあ何時まで経っても埒が明かないな・・・。』  呟いて空を見ると、いまだ止まない雨がユリウスの顔を叩いた。髪を濡らし、服を濡らし、それでも耐えて好機を待っている。その光景を見下ろすのは、屋敷の二階でどうやって逃げようか考えるボルグ男爵である。 『やつら、勝手に俺が犯人だと決めつけやがって・・・。』  話が通じる相手ではないのは充分に理解していて、戦って勝つには兵力が不足していると言うのは理解させられている。それを理解させた男は、白月団のリーダーであるアルバトルだ。 『男爵、逃げるにしても周りは囲まれています。ここは一つ紅翼団を利用すべきでは。』『紅翼団をどうやって利用するのだ?戦いはこの場所に限定されているのだぞ。』 『ですから、その策が私にはあるのです。伊達に高給を要求した訳ではありません。』  アルバトルは自信を持った笑みをその顔で表現し、ボルグ男爵は恐怖の欠片も感じる事のない男に、任せてみることにした。ただ、露骨にはっきり言うと、ボルグ男爵は資金(かね)だけは豊富に持っている男で、その資金源は不明だが、満足させてくれるだけの能力を持つ部下にはそれなりの給料を支払っている。前回の敗戦で減ってはいるが。  アルバトルは脱出ルートを確保する為に、自分の目の届く範囲内で庭の一部に火を放った。大雨でも良く燃えるように、油をたっぷりと染み込ませた布を棒に巻きつけ、二階の窓から投げ捨てたのである。突然の火の手に慌てた黒陽団の一部の兵士は、消す必要のない火災であるのに、自ら混乱を招き、屋敷の包囲と監視に必要な人数を消火作業に回してしまった。それだけでは満足しないアルバトルは、直に次の策戦に移った。今度は投げられる物ならなんでも二階から投げ捨てたのだ。椅子、本、絵画、ランプ、掃除用具や食器類に至るまで、何でも投げた。出来る限り黒陽団にぶつけるように指示したが、捨てる事に夢中になりすぎて、被害と言う被害は発生しなかった。それでも、相手を混乱させるには十分なのである。ボルグ男爵は貴重品のみを鞄に詰め込み、逃げる準備を整えている。その中にはビンに収められた不思議な物も有ったが、誰一人として気にする事はない。 『良い感じで混乱している。後は俺達が脱出した後、屋敷を燃やせば紅翼団のやつらが駆け付けるだろう・・・。』  アルバトルの予定通りに事態は推移し、脱出をしようとした時、紅翼団の兵士の姿を見た。予想よりも早過ぎるどころか、この混乱を逆に利用して黒陽団の兵士を捕縛しているようであった。 『な・・・、あいつら早過ぎるぞ?!男爵、さっさとずらかるとしよう。囮に20人ほど残しておけば大丈夫だ。』 『戦闘には勝てないが、逃げることばかり上手くなるな、お前は。』  そう皮肉ったものの、今逃げなければならないという危機感は存在し、アルバトルを先頭にして、急いで裏口に回った。そこは予定通りに人影はなく、ボルグ男爵と白月団の数名は逃走に成功したのだった。雨に濡れる裏道を走り、適当に馬車を盗み出すと、グーテンベルク帝国の首都へ向かって疾走していった・・・。  ボルグ男爵の屋敷の周囲での混乱は、10分ほどでおさまったが、その時既に屋敷内にはボルグ男爵の姿はない。捜索を開始するには、残された白月団の兵士達と戦闘をしなければならなかったが、自分達が見捨てられた事を悟ると、あっさりと投降したのである。だが、投降した兵士達は、これがどちらに転んでも罠である事を知って驚きを隠せなかった。紅翼団の兵士達は、逮捕や戦闘など、全くやる気がなかったのである。なので、捕縛されたように見えた黒陽団の兵士達は、白月団の兵士達が投降してきたと同時に解放されている。 『おい、お前達の男爵様(ボス)は何処だ?』  女性に訊ねられ、すぐに応える。 『全く、何処へ行ったか見当もつかない。』 『・・・本当だな?』 『俺達を見捨てたやつをかばっても意味ないだろ。』  そう言われると、満足したわけではないが、小さく頷いてすぐにその場を立ち去った。その後姿を見て、白月団の兵士が黒月団の兵士に訊ねる。 『あの女は誰だ?』 『さぁな。俺が知りたいぐらいだ。』 『一瞬、男かと思ったが・・・良く見ると結構な美人だな。』 『あいつに手を出すと死を見るわよ。』  別の女性の声が後ろから聞こえたが、驚きはしなかった。名前も顔も良く知る人物である。振り向いて問い質す。 『これは、これは・・・バレッタさんで。それで、これから俺達はどうなるんですかね?死刑になんてなるとかならないとか・・・。』 『私はそんな趣味はないな。そんな権限も持ち合わせていないし、今回の策戦指揮は私じゃない。』 『リーダーなのに指揮していないのか?』 『ちょっと事情があるらしくてね。それに、白月団はこれで解散でしょう。』  白月の騎士団を創設した男爵が逃げ出したのであるのなら、団体として継続する意味はないのだ。それよりも、給料がもらえなければ戦う意味などない傭兵部隊なのである。 『無罪放免なの・・・か?』  その質問に嫌味たっぷり含んだ笑顔で答えた。 『捕まりたいのかしら?』 『ご冗談を・・・。』  苦笑いをしている白月団の兵士と黒陽団の兵士を等分に見つめると、小さく笑ってその場から立ち去った。結局彼等は捕まる事はなかったが、それでも事情聴取の為にしばらくは身動きが取れなかった。あれほど強く降っていた雨は、何時の間にか小雨になり、暫く経つと降るのを止めた。どんよりとした雲は空を覆ったままだったが。  バレッタはエルダの後を追っている。二名の兵士を従えて街中を捜しているが、なかなか見つからない。辺りも暗くなり、人の姿もまばらになった頃、ポプラの木が視線の先にあるのに気が付いた。明るければもっと早く気が付いただろうが、暗くて視界も悪く、かなり接近しなければわからない。 『・・・そういえば、あいつ・・・ポプラの木が二本立っているところに有る宿に居るって言ってたけど・・・。』  まさか、と思って宿を覗き込むと、事情聴取を終えた白月団の元兵士達が酒を飲んでいる姿を見た。その中には女性が二人いて、一人は宿の従業員だと言うのがその服装でわかった。もう一人はと言えば。 『エルダ?!』 『よぉ、遅かったな。もうちょっと来るのが早いと思っていたが。』  のんきな声で言われた事にも腹が立ったが、必死になって捜していたのに、のうのうと酒を呑んでいる事の方が腹ただしかった。 『ちょっと、私がどれだけ苦労していたと思っているのよっ!』 『へ?』 『あんたをずっと捜していたんだから。それに、ボルグ男爵はどうしたのよ!』 『どうしたって言われてもなぁ・・・。馬車で逃げていく姿を見たって情報をもらったから、諦めて晩飯にしたのさ。どうせ追いかけても間に合わないし、行き先は一つしかないだろうしな。』 『どうして行き先を知ってるのよ?』  そう言って、不満と疑惑を混合させた視線を相手にぶつけて問う。 『俺の目の前に情報提供者がいるからに決まってるだろ。』  エルダの目の前には、白月の騎士団達メンバーが幾人もいて、酒を呑んで騒いでいる。これでは、街のごろつきと区別がつかないだろう。だが、その貴重な情報はその彼等が一番詳しく知っているのだった。 『まぁ、せっかく来たんだから一杯やっていけよ。どうせ、帰っても寝るだけだろ。』 『・・・。』 『呑んで騒いでゆっくり休んだら、明日は諸悪の根源を断つ戦いに行くんだからな。』  エルダは酒を口に含み、自らの手で空になったカップに新たな酒を注いだ。それを僅かに掲げた風に見せると、古い友人に向けた。 『・・・呑め。』  断る理由はないが、受け取るにしても理由が判然としないし釈然もしない。だが、彼女は受け取った。それは理由など不要であったからだ。宿屋の食堂は一層の騒ぎを増していた。一人、また一人と、酒に酔って倒れる中で、二人の女性だけが平然と呑み続けていた。そして、瞼が重くなり、夢の世界へと連れて行かれる寸前に、とんでもない事を耳にした。 『アレンとか言うあの男は死んじゃいないぜ・・・。』 第五話 本当の理由  翌日、すがすがしさなど全く感じられない場所で目を覚ました。知らない男の腕を枕にしたまま寝ていたようであるが、ベッドの上ではなく、床の上だったのだ。更に、起き上がろうとしたと同時に襲い来る激しい頭痛。呑み過ぎたと言う自覚は有ったが、自覚が有ったという所までしか記憶に留めていないのである。眠りに落ちる前に、とんでもない台詞を聴いたような気がするが、全く思い出せない。 『いつまで寝てるんだ?寝ても覚めても男に囲まれるのが好きなやつだな。』  その台詞に、眠気が一瞬にして消えた。確かに普段から男に囲まれてはいるが、そう言う誤解を生む台詞を言われる理由はない。 『あのねぇ、私は仕事で男を部下にしているだけよ!』 『何を言ってるんだ?ここにいる男は一人としてお前の部下じゃないが。』  それが事実だったため反論できずにいると、エルダが笑い出した。当然のように冗談を言っただけであり、追求するつもなど毛頭ない。 『それだけ怒鳴ったんなら目が覚めただろ。あの子(メグ)が朝食の用意をしてくれたから、さっさと食って出かけようぜ。』 『出かけるってどこなのよ。』 『さて、どこだろうな?』  気の無い返事をすると、カウンターに用意されている朝食の席に坐る。バレッタの困惑を無視して、さっさと食べ始めた。バレッタも席に着いて食べ始めると、メグが厨房の奥から現れて、床に寝ている兵士達の片付けをする。なかなか起きてくれない様子で苦労しているが、父親も加わって一人一人を椅子に坐らせた。その作業がやっとの思いで終わった時には、エルダとバレッタの朝食が終わっている。 『さて、案内人は役に立ちそうも無いし、お前のところの兵隊を10人ぐらい貸してもらえるか?』 『いくらなんでも、理由も無く貸せるわけ無いじゃないのよ。』 『・・・ボルグ男爵を捕まえに行くんだ。やつには俺の方の事情もあってな、どうしても取り返さなきゃならん物があるんだ。』 『それが、この街に来た理由なの?』 『まぁな。』 『・・・ひょっとして、昨日の騒ぎを主導したのはエルダじゃないでしょうね?』 『今ごろ気が付いたのか。だから言ったろ、アレンって男は死んじゃいないって。』 『えっ?!』 『何を驚いてるんだ。』  呆れたような声と表情で、視線をバレッタに向ける。 『驚くに決まってるじゃないのよ!昨日の事件だって黒陽団のリーダーが殺されたのが原因じゃない。死者だって出てるのよ。』 『あのな・・・、あのまま放っておけば抗争は繰り返されて、もっと死者が出ても不思議はないだろ。だから、自分の制御可能な範囲内で事を起こしただけさ。それに、期限(じかん)も無いしな。』 『時間って、何か有るの?』 『愚問だな。何か有るから急いでいるに決まっているじゃないか。』  それは全くその通りの事だが、バレッタが訊きたかったのは、詳しい事情(わけ)である。自分が利用されている事には腹を立ててはいないが、利用されるからには事情を知りたいのだ。 『まぁ、いずれ解るさ。それまで楽しみにしておく事だな。』  そう言って、エルダはすました顔で宿を出て行くと、バレッタがその後を追いかける。途中、紅翼団の詰所に寄ると、グリューネ伯爵が待っていた。彼は、この紅翼の騎士団の創設者で、バレッタにとっての唯一の上司である。初めて顔を合わせたはずであるこの二人は、意外にも親しげに会話をはじめた。 『君がレイノルズ将軍の一人娘だね。会うのはこれで三度目かな。』 『そうだったかな・・・俺は二度目だと思うけど。』 『君がまだ赤ん坊だったとき一度合っているんだが、それは知らなくて当然だよ。』 『ふ〜ん・・・。まぁ、そんな事よりも手紙は読んでくれただろ?』 『あぁ、確かに将軍からの手紙は受け取ったよ。まさか、あんな事で資金(かね)を集めていたなんて知らなかった。』 『そう言うわけでさ、少し兵隊を貸してもらえるかな?』 『好きなだけ連れて行くと良い。将軍には世話になっているし、この事件さえ解決すれば、街の平和も保てるだろう。喜んで協力させてもらうよ。』  グリューネ伯爵と言えば、この街では他に追随する者などいないぐらいの権力者である。親友(?)のエルダが伯爵と平気で会話をしている事にも驚いたが、伯爵がエルダの父親と知り合いだったと言う事にはもっと驚いた。なにしろ、エルダの出身地はこの街を支配する帝国とは無関係の王国であり、バレッタも同じ出身地であるが、エルダの父親はその国での軍人として国王の右腕として存在しているのだから。 『伯爵は、エルダの父親をご存知なのですか?』  バレッタは、あまりにも気になったので、ついつい訊ねてしまった。伯爵はその質問に対して笑って答える。 『レイノルズ家とは300年前の大戦で肩を並べて戦った仲なんだ。だから、レイノルズ将軍は帝国内でも、ある程度の自由な行動が可能な特別な人物なんだよ。最近でも帝国での凶悪犯を逮捕して送還してもらった事もある。今回、将軍がこの街の事件に介入するきっかけとなったのは、彼の国の保護区域に棲む、絶滅危機にある妖精を奪われた事らしい。その妖精は、虹の涙と呼ばれる不思議な宝石を生み出す事で有名で、過去に乱獲されていたんだ。』  長い説明の後、小さな箱から更に小さい物を取り出してバレッタに見せる。それは七色に輝くとても小さな宝石のようだった。 『これは、過去に友好の証として受け取った宝石だが、たったこれ一つで、私の屋敷を買えるほどの価値がある。乱獲された理由はこれなんだ。ボルグ男爵が逃げたのなら、必ず妖精を連れて行くだろう。それさえあればいくらでも再起が可能だし、再び同じ事件が発生する可能性は高い。』 『それを奪い返せば、全て解決するのですね。』 『その通りだ。だから、バレッタは彼女に協力して、ボルグ男爵を追うんだ。男爵の生死は問わないが、妖精だけは生きたまま連れて来るように。』  発端の真相を知らなければ、愚痴をこぼしつつも手伝うだけで済んだであろうが、知ってしまった以上、彼女にも責任が問われる事になる。エルダはバレッタを見て苦笑し、バレッタは伯爵を見て、緊張に身体を振るわせながら命令を受領した。今までの戦闘でさえ精神的な苦労は多かったが、今回の任務は尋常ではない。単なる伯爵からの命令ではなく、国家間の信頼関係にも影響するのだから。  エルダとバレッタは、10人の兵士を従えて詰所を後にした。目的の場所までは馬車で移動する事になったが、出発する前からバレッタの表情に疲労の色が見えている。 『隠れ家なんて物まで造ってるとは、相当の数を売りさばいたんだろうな。』  エルダが、馬車の荷台で隣に坐るバレッタにそう話し掛けたが、すぐに返事はない。 『おい、なに変な表情(かお)してんだよ。』 『・・・エルダの父親が凄い人だってのは知ってたけど、まさか自分が関わるなんて思ってなかったわ。この任務に失敗は許されないのよ。』 『ふ〜ん・・・。失敗しても許される任務ばかりやってたのか、お前は。』 『そ、そんな事ないわよ。いつだって失敗なんてしたくないわ。でも、今回の任務は私には荷が重過ぎる・・・。』 『そりゃ、お前以外にいないからだろ。ユリウスってやつには事後処理を頼んだし、アレンにも協力してもらった見返りをしなきゃならんからな。それに、俺も久しぶりにお前の腕が見たい。剣術大会で俺に勝ったのはお前だけだから、期待してるぜ。』 『エルダだって強いじゃない・・・。』  任務の重大さに自信を喪失しているバレッタは、平然としているエルダが羨ましかった。ただ、エルダの場合は冷静沈着ではなく、大胆不敵で、深慮遠謀とは無縁だが。 『気にしてたら何も始まらないぜ。やると決まったんならやるしかないだろ。』 『そ、そうよね・・・。』  馬車の揺れが荒々しくなり、会話を続けにくくなる。それは街を抜け、広かった道も狭くなり、整備される事のない外れた道を進んでいるからである。案内人を用意する予定だったが、酒を呑ませすぎて潰れてしまったので、その案内人から受け取った地図を頼りに目的地を目指していた。  小さな集落すらなく、荒れ果てた大地を馬車で進んでいる。太陽は昇り詰め、西に傾き始めたころ、辺りの風景ががらりと変わった。深い森の中、陽(ひ)の光も届かず、暗闇と深い霧に包まれると、馬車は速度を落とす。 『そろそろ、監視用の小屋が見えてくるはずだ。ここでの戦闘は避けられない。見張りの交代時刻でなければ、敵は三人だけだ。』  エルダがそう言うと、バレッタを含む紅翼団の兵士達に緊張が走る。相手は少数であると言う判断と、あまり大人数だと敵に察知されて逃げられてしまう危険を配慮して、合計12人の小部隊でここまで来たが、応援も増援も期待できない。今日中に街に戻れないような事態になれば派遣部隊が送られて来るだろうが、短期決戦で結果をもぎ取らなければならないという、足枷も有るのだった。  前方に武装した人の姿が見えた。この時、バレッタと他6名の兵士は既に馬車を降りていて、草むらの中を忍ぶ様に歩いて接近している。 『そこの男!ここから先は通行止めだぞ!』  馬車に乗って馬を操作しているのはエルダだったが、いつもの事なので気にしない。 『そんな事は知っている。この先の屋敷に用があるんでね。』  その声に女だと理解した監視員の男は、明らかに油断した。エルダ達の知らない事情では有るが、彼等は本日の午後に女性を乗せた馬車が来るという連絡を受けていて、その馬車を待っていたのだ。そして、もう一つの予想外の事実は、監視員が5人に増えていた事である。しかし、油断した彼等を裏からまわったバレッタ達が一気に襲いかかった。余りに突然の事に、剣を抜いて抵抗する暇もなく、4名が捕まり、1名が死亡した。捕まった男の一人は、質問とも苦情とも付かない、意味が有るようで全く無い台詞をはいた。 『お前達は何者だ?!』 『敵に決まってるだろうが。お前は阿呆か。』  反論の余地も無く、男は無言になった。 『さて、ついでに質問しておきたい。この先の屋敷にボルグ男爵はご滞在か?』 『・・・マタドゥーレから来たやつだな。そうか、なるほどな。』  不気味な笑みを浮かべる男に、エルダは重ねて同じ質問する。 『ボルグ男爵はいるのか?』 『ああ、いるさ!いるけどな、ここから先は進まない方が身の為だぜ。なにしろ、屋敷と言うより要砦だからな。常駐兵士も100人以上だ。』 『100人も?!』  バレッタは、たった12人で100人を相手に戦わなければならないかと思うと、驚きの余り、声に出してしまった。 『ほほぉ・・・そいつは楽しそうじゃないか、やる気が出るってもんだな。』  不敵に笑うエルダに、捕らわれた兵士達は恐怖を感じた。だが、それ以上に味方の紅翼団の兵士達が戦慄している。目的を達するまでは戻れないと言う事が、更なる重圧となって身体を重くさせていたのだった・・・。 第六話 天秤に乗せられた金と命  ボルグ男爵が逃げ込んだ屋敷の中では、多くの兵士が警備の為に巡回し、屋敷の周囲にも監視の目を光らせていた。これはボルグ男爵が指示したものではなく、その部下である、アルバトルが用心の為に配置命令をしていたのだ。追っ手が来る事は十分に想定の範囲内で、相当数の敵が攻めてくるだろうと用心に用心を重ね、マタドゥーレとは別の街から臨時に傭兵部隊を雇っていた。資金に心配がないだけあって、すぐに多くの人間が集まり、武器なども用意する事が可能だった。だが、アルバトルはここを死守してボルグ男爵を守り続ける意思など無く、状況次第ではすぐに逃げ出せる準備も整えていた。もちろん、男爵を連れてである。エルダ達の少数部隊はこの屋敷の近くまで接近してはいたが、どうやって突入するか悩んでいて、突入したとしても屋敷内部の構造などは全く知らない。 『さて、まずは奴らを攪乱させないとな。』 『でも、どうやって?』 『一番簡単なのは、火矢を放って火災を発生させて、それとは反対の方向から突入する事だな。投石とか可能ならもっといろいろ出来るが・・・。』  その言葉で反応したのは、バレッタではなく、バレッタの部下の一人である。 『ノコギリとロープがあれば、時間差を作って石を発射する簡単な装置ぐらい作れますが、正確な時間を測って作るのはちょっと無理です。』 『その装置を作るのに必要な時間は?』 『一つの投石装置で、5分ほどあれば・・・。』 『なら、ここには12人いるんだ20個の投石装置を10分で作成可能だな。馬車にある使えるものは何でも使え。必要なら壊してもかまわん。』 『でも、それじゃあ私達が帰る馬車はどうするのよ?』 『そんなものは戦闘が終わったらやつらの馬車を奪えば済むだろ。これだけの兵士を短時間で集めたんなら馬車だってたくさん有るはずだぜ。』  確かに、言われればそうなのかもしれないが、行き当たりばったりの要素が強すぎる。攻め込まずにいったん引き返すと言う事も必要ではないかと思ったが、これ以上の時間を与えれば、追いかける事が不可能なほど遠くに逃げられてしまう可能性が高いのだ。 『・・・これなら夜になるのを待った方が良いかもね。』 『そうだな。夜空を盛大に火の玉で埋めるか。』  その言葉の意味を完全に理解した者は、その場に存在しなかったが、準備を進めていくうちに、少しずつ理解を深め、投石装置の他にも幾つかの罠を用意した。  屋敷の外では攻め込む準備で忙しい時であるが、屋敷の中ではまだ見ぬ敵に苛立ちを覚えている。予定通りの美女を乗せた馬車は到着したが、彼女達の話では、敵の姿どころか、監視員すらいなかったと言うのである。その報告を受けたアルバトルは、敵の捜索をする為に30名ほどの兵士を屋敷の外へ放った。 『やつら、どれほどの数を用意したんだ。場所を知られていると言う事は、過去に雇ったやつの誰かが裏切ったと言う事になるが、しかし・・・。』  横目で、自分の上司を見ると、ビンの中に閉じ込めた妖精を抱えてベッドルームへ移動しようとしている所だった。 『あんな妖精(もの)を大事にしているなんて、悪趣味なやつだな。』  上司の声が届が届かなくなるのがわかると、悪口を言った。まだ夜にもならない時刻にベッドルームへ向かう理由は、団体の美女が到着したから楽しもうと言う事なのは理解できるが、妖精を連れていく理由はわからない。アルバトルはその妖精の秘密も価値も全く知らないのだ。それでも給料を支払ってくれる者に対しては、相応の仕事をこなさなければならない。いつ来るかわからない敵に対しての準備と警戒は、怠る事は出来ないのだった。  陽も沈み、霧に包まれていた屋敷は暗闇にも包まれ、敵襲を警戒して、数多くの篝火(かがりび)を焚いた。ほぼ同時刻に、敵の捜索を終えた兵士達は収穫が無かった事を報告しに戻る途中で、エルダ達の作戦は実行に移った。無数の大人の顔と同じぐらいの大きさの石が屋敷に向かって発射される。狙いは警備する雇われ兵士達ではなく、屋敷そのものであるため、命中精度など気にする必要も無く、その投石装置を設置した場所には、エルダ達の姿は無い。 『南の方角か。だが投石程度じゃ屋敷を壊すのに時間がかかるだろうな。』  攻撃を受けているにもかかわらず、アルバトルは冷静に分析をしている。そこへ警備中の兵士が荒々しく扉を開いて、自分達の隊長であるアルバトルに報告をする。 『報告!南の方角より飛来物多数!ただし敵影は発見できず。』 『どう言う事だ?あれだけ派手な攻撃をしてきたのに敵の姿が無いだと・・・。』  更にもう一人の兵士が、報告中の兵士を無視して隊長に現在の状況を伝える。 『東より火の塊が飛んできます!』 『なんだと?!やつら屋敷ごと俺達を焼き殺す気か!』  屋敷に篭城していれば、その屋敷そのものを離れたところから攻撃し、慌てて逃げ出したところに敵が待ち伏せしているだろう。そうすれば、多数の兵士を投入する事無く、被害も少なくて済む。だが、この方法を選択した理由がわからなかった。報告に来た部下に命令を与える事無く、暫く思考の海に沈んでいた。そこへ、もう一人の兵士が現れる。 『隊長、敵です!西門を完全に破壊され、現在交戦中です!』 『敵の数は?』 『わかりません!』 『阿呆か、敵の数ぐらい数えろ!』 『し、しかし、火の玉があちこちから飛んできて対処しきれません!』  その報告に驚いたアルバトルは部屋を飛び出し、屋上へ向かった。到着した時、夜空に輝く星々が見えなくなるほどの火の玉が飛び交っていた。慌てて部屋へ戻ると、そこには兵士の姿は無く、着替える途中の姿のままの男爵の姿が有った。 『これは一体、どう言う事か?!』  アルバトルは明確な回答など持ち合わせておらず、悔しさに身を震わせながら沈黙した。どうしてこの様な事になったのか。それは30分ほど時間が溯る―――  エルダ達は偵察に来た兵士達と一度は遭遇したが、エルダとバレッタの余りの強さに逃げ出そうとした所を捕まえて協力させたのである。 『お前等は雇われただけの兵士だろ。それなら俺達に協力したほうが利口だぜ?』 『なに言ってやがる、この作戦が終われば給料がもらえるんだぞ!』  と、一度は抵抗の意思を見せたが、次の言葉で彼等は考え直す必要を迫られた。 『作戦が終われば、確かに貰えるかもしれないな。でもな、良く考えろよ。今ここで殺されれば貰えないだろ?』 『・・・。』 『それに、給料(かね)を出すのは男爵だが、作戦に成功してもその時に男爵がいなかったらどうする。やつが本当に金を出す保証は何処にも無いんだぜ?』 『お、俺は金が欲しいだけなんだ・・・、頼むから殺さないでくれ・・・。』  エルダはニヤリと笑うと、彼等の心を大きく揺さぶるべく、とんでもない台詞を吐いた。 『俺達の後ろには紅翼の騎士団が付いていてな、男爵の仲間と判断したら殺すかもしれない。だが、ここで協力すれば、男爵が払う事が出来ない給料を紅翼団で出してやるぜ?』 『わかった。協力する。協力すれば殺されなくて済むんだろ?』 『もちろんだ。それに無理に戦闘に参加する事もないぜ。俺の言う通りに動いてくれれば良い。あと、屋敷の何処に男爵がいるのか教えてもらえると助かるんだが。』  結局は雇われただけの、その日限りの兵士が殆どで、金に執着は有っても、戦闘に勝つ事に対する執着心はまるで無いのである。数だけは立派に揃えたとしても、質は悪いのだ。それを知ったバレッタ達以下紅翼団の兵士達は、戦闘に勝ったわけでも、目的を達成したのでもないのに、大きな安堵感に包まれていた。それは、ある程度の剣技に自信があればこそだが、紅翼団の兵士達はそれなりの自信を持ち合わせた者が集まっているのだった。その中で一番なのがバレッタであり、その彼女が怯えていては影響が出るが、今はその怯えとは無縁の状態にあった。そして、その話を知った他の偵察者達までもが喜んで協力する意思を見せ、現在の夜空に火の玉を放っているのだ―――  四方八方から飛来する火の玉に、屋敷の四分の一が既に黒焦げになっていた。西門を破壊し、ついに屋敷に侵入したエルダ達は、襲い来る兵士達を軽々と捻り倒す。可能な限り殺したくは無いが、一人一人説明している暇は無い。 『くそっ、こんなに強いやつと戦うなんて聞いてないぞぉ!』  雇われ兵士の幾人かは、これとほぼ同じ台詞を吐いて逃げ回っている。技倆(うで)に自信の無い者が逃げ回っていると言う事は、襲ってくる兵士達は多少なりとも技倆に自信が有ると言う事になる。その為、敵は少しずつ強い者が現れるようになった。  振り下ろされる剣をエルダが払い除けると、僅かに出来た空間にバレッタが潜り込み、鋭い一撃を浴びせる。この二人のコンビネーションは見事なもので、相手が女だとわかっても、闇雲に突撃する者はいなくなった。屋敷に突入した時は、全員が同じ場所にいたが、時間が進むにつれて、一人、また一人と行動が離れていく。やっとの思いで目的の部屋の近くに到着したエルダとバレッタの前方に、逃げ出そうとするボルグ男爵とアルバトルの二人の姿があった。 第七話 知りたくも無かった秘密  ボルグ男爵の隠れ家となっている屋敷の外では、幾人もの雇われ兵士が逃げ出し、十数名がエルダ達に協力し、屋敷の一部は飛来した火の玉で火災が発生し、混乱が続いている。その中で小人数で行動しているエルダ達は、ついに元凶とも言えるボルグ男爵の姿を視界に捉えた。そのボルグ男爵は小脇にビンを抱えている。 『やっぱり持ってたな、それを返してもらおうか。』  男爵は敵の狙いが自分ではなく、このビンに閉じ込めた妖精である事を知って、敵の正体を悟った。 『そうか、お前はレイノルズの使いか。』 『ほぅ、俺の親父を知っているようだな。ならばお前に逃げる場所など無い事もわかるだろう?』 『な、なんだ・・・、お前達は紅翼団じゃないのか?』 『そう言うわけだ。俺に喧嘩を売ると、次は軍隊が来るぜ。』  アルバトルは相手の言葉尻を捕らえて、少しでも情報を得ようと言い返した。 『そいつは有りがたいな、ならば今はその軍隊もいないってわけだ。』 『俺の兵隊じゃなければすぐに来るけどな。』  エルダの言う俺の兵隊じゃなければと言うのは、紅翼団の事である。 『そのわりには小人数じゃないか、それも俺好みの美女が来るとはなぁ。』  そのいやらしい笑みに、バレッタの背筋が冷たくなった。 『わ、私はあんたみたいな変態は嫌よ!』 『誰がお前だなんて言った。自惚れかい?俺が欲しいのはそっちの女さ。』  ここにいる女性でバレッタ以外といえば・・・。 『・・・俺か、変わった趣味のやつもいたもんだな。それも二人目か。』 『ちょ、ちょっと、話なんかしている暇ないわよ。早く捕まえようよ。』  バレッタに言われるまでもなく、エルダは承知している。 『俺がこいつを相手にしている間に奪えば良いだろ。』 『あっ、そ、そうね。』  アルバトルが相手の小声での会話を無視して叫んだ。 『周りを囲んで逃げられないようにしろっ!』  その声に呼応して動いた兵士は多くは無かった。だが、それでも通路を塞ぐには十分な数で、エルダとバレッタは目の前の男を倒す以外の選択肢を奪われた。 『どうせ援軍などいないんだろ。ゆっくり相手してやるぜ・・・。』  アルバトルの言葉に驚いたのはバレッタだけで、エルダは平然としている。平然を装っているだけかもしれないが、敵に囲まれた上に、援軍の無い事まで気が付かれてしまっているのに、そのような態度でいられるところが凄い。と、バレッタは感じた。 『援軍ならお前にだって無いだろうが。しかも金が欲しくて来ただけの、死ぬ覚悟も無い連中じゃないか。既に逃げ出したやつだっているぜ。』  その言葉に、僅かながら表情を歪ませたアルバトルは、数拍の呼吸をおいて、突然、豪快に笑った。 『噂で聞いた事がある。レイノルズには娘が一人いて、そいつはとんでもないおてんば娘だったと言うのをな。なるほど、お前をここで斃せば父親(軍隊)が出てくるって理由(わけ)だ。だったらそんな危険を冒す必要は無い。なんだか良くわからんが、お前等の目的はあのビンだろ?俺は三流の傭兵部隊を率いても負けない自信は有るが、剣で直接戦う自信は無い。』 『この戦いは、既にお前達が負けていると思うが?』 『俺が男爵を抱えて逃げたら、お前達は勝てないだろ。故に俺は負けないのだ。』 『そいつは一理有るな。』  エルダが苦笑すると、それに反応したわけではないが、ボルグ男爵は怒りの声を上げる。 『アルバトル!お前は俺を守らないと金は手に入らんのだぞ?!』 『生命あっての金ですよ。それが傭兵となった者全員の共通認識ってやつです。死ぬのは怖いが、金は欲しい。それに周りを良く見てください。』  アルバトルはわざとらしく両腕を広げた。一瞬にして静まり返った空気には、投擲された石が屋敷に命中する音が聞こえない。 『誰一人として剣を握っていないんですよ。既に戦う意思なんて無いんです。投石も止んでいるようですし、その上、兵士達に混乱が無い。これは一部の兵士が勝手に降伏したか、男爵を裏切った・・・いや、見限ったと思われますね。』  余りにも冷静な口調で話した為、男爵は怒るという状態を通り越して、恐怖に震えた。大事に抱きかかえるビンを持ったまま、逃げる事も抵抗する事も出来ない。そんな姿を見たエルダは、剣を鞘に収めた。抵抗する事の無い人間を嬲る趣味はなかったと言う理由であるが。 『男爵と逃げても、逃げ続けるしかないんです。逃げ続ければ確かに負けないですが、一生涯、勝てません。勝てない戦いを続けても人生は楽しくないんでね、裏切るわけじゃなく、男爵との契約をここで破棄させてもらいますよ。』  承諾など必要無し。と言った感の有る言葉を吐き出したアルバトルは、数秒前までの上司の回答を無視して、エルダに視線を向けた。 『さて、俺達が全員逮捕される事は無いだろうから、勝手に帰るが・・・どうするんだい?』 『あんたの言った通りだよ。俺達は必要な物さえ取り返せれば良い。後は、給料が欲しいやつだけ俺達に付いて来るんだな。本部に戻らなければ出すものも出せないし。』 『ん?そんな話は知らないぞ。』 『そりゃ、そーだろうな。最初から俺達は援軍も無ければ、仲間も10人ほどしか居ないんだ。だから、ちょっと、お前達の部下を使わせてもらった謝礼みたいなもんさ。』 『・・・そうか、それでか。その方法を使われるのが一番のネックだったが、まさか本当に使うやつが居るとは思わなかったな。』 『まぁな。どうせ金を出すのは俺じゃないから。』  バレッタがエルダを睨み付けた。理由は無論、勝手に約束した金の事に有る。後で怒られるのは私だと言わんばかりの視線を送っているが、それに対するエルダは全くと言って良いほど気にしていない。恐怖で動けなくなったボルグ男爵から、妖精の入ったビンを荒々しく奪い取ると、エルダの目の前に突き付けた。 『早く帰りましょう!早く帰って、報告して、さっさと寝たいわ。』 『帰るって、この暗闇の中をか?』 『当たり前じゃないのよ、こっそり隠れる必要も無いんだし、堂々と馬車に乗って、灯りをいっぱい付けて帰りましょ。』 『じゃあ、その前に、こいつとも相談しないとな。』  そう言ってエルダはビンの蓋を開けると、閉じ込められていた妖精が飛び出てきて、エルダの左肩にしがみ付いた。 『こわかったよぉ〜。』 『そうか、そうか、よしよし。』  エルダが人差し指で妖精の頭を撫でている。それを見た周りの者達が不思議そうに視線を集中させた。気に成って話し掛けたのは、その中で普通に話し掛けても違和感の無い者である。 『エルダって、その妖精と知り合いなの?』 『知り合いって言うか友達だな。伯爵も言ったが、こいつ等は乱獲されて数をかなり減らしたんだ。何度か保護区域で遊んでいたら仲良くなってな、今は結構数を増やしてはいるが、それでも30ちょっとぐらいしか残っていないんだ。俺達人間よりも長生きするだけあって、ぜんぜん数が増えないから、俺の事を知らない妖精(やつ)はいないし、逆に言えば、この妖精達は全員が俺の事を知っているんだ。だから、妖精の救出に俺が選ばれたのさ。』 『時間が無くて急いでいたって理由は?』 『・・・こいつ、妊娠しているかもしれないから、それを確認したいんだ。』 『妖精も妊娠するの?!』  驚いて大きな声を出すと、戦闘中にバラバラになってしまった部下達が戻ってくる。先ほどまで戦っていた彼等は、何事があったのか、半分も理解していないうえに、耳に残った言葉はただ一つであった。 『バレッタ隊長が妊娠ですか?!』 『相手は誰なんですかっ!』  突然、攻撃的な口調で質問攻めにされたバレッタは、部下達が誤解している事に気が付いて、意味も無く頬を紅くして怒鳴った。 『わ、私じゃなくて、この妖精の事よ!』  部下達は大きく息を吐き出すと、ホッとした、安堵の表情に変わったが、すぐに別の表情へと変化した。 『妖精が妊娠するんで?』 『怒ったり、安心したり、驚いたり、本当に忙しい連中だな。ファリスがびっくりしてるだろーが。』  妖精は怯えている。 『ファリスってその妖精の名前なの?』 『あぁ、妖精は名前を付けて呼ぶ習慣が無くて区別しにくいから、俺が全員の名前を付けたんだ。それで、こいつはファリスって名前なんだよ。』 『なんで?』  その問いは、名前の由来を訊いているのだが、エルダは簡潔に答えた。 『適当。』 『・・・。』 『なんだよ、その目は?』 『別に!・・・それより、早くそのファリスと相談してよ。』  妖精のファリスと、人間のエルダの会話は、30秒ほどで終わった。その間にボルグ男爵が逃げられないよう、ロープで縛る。 『・・・で、どうなったの?』 『妊娠はしているみたいだが、まだ産まれるかどうかわからんから、出来る限り早く戻るとしようか。』 『そうしましょ。』  と、返答よりも先に行動に移るバレッタは、部下にボルグ男爵を連行させようとすると、その男爵がエルダに向かって質問した。 『虹の涙は毎日手に入ったが、それが妖精の卵じゃないのか?』 『あれ・・・?お前知らなかったのか。』 『妊娠しているんだろ、そいつは。』 『・・・知らない方が倖せな牢獄生活を送れるぜ?』 『どう言う意味だ?!』 『知りたそうな顔をしているから教えてやるよ。』  と言うと、再び視線が集中する。他の者達も、その秘密を知りたいようだ。 『これはな、妖精の排泄物だ。』  そして、周囲の空気は硬く、重く、沈んだ――― 第八話 手の平の上で  妖精の奪還に成功したエルダ達は、往路よりも何倍もの人数を従えて、復路を馬車に乗って進んでいる。月明かりの眩し過ぎる夜に、多くの人を乗せた馬車がゆっくりと。  マタドゥーレの町に到着したのは、夜も明けきらない午前4時頃である。だが、紅翼の騎士団を運営するグリューネ伯爵は、一睡もする事無く、バレッタの報告とエルダの無事な帰還を待っていた。ただ、その後に続く"おまけ"については想定外の事であって、余計な出費となったが、その程度の事で運営に支障をきたす事は無く、街の治安は以前よりも安定したものになる事に疑いは無かった。  報告を終えたバレッタと、妖精を肩に乗せておまけを引き連れたエルダは、この町に着た時に宿泊した宿屋で、朝食を摂る事にした。宿屋を経営する二人は、叩き起こされる事になったが、驚くほどの客を引き連れて現れたエルダに、感謝しつつ苦情を言った。 『出来たらもうちょっと後に来て欲しかったけど、これだけのお客さんが居たら断れないわね。』 『断らせないけどな。』  邪気の無い笑顔を向けると、メグは何故か頬を紅くして、後ろを向いてしまった。本当に男の人だったら良かったのに・・・。と呟く声は誰にも聞こえなかった・・・はずだった。その、微量な音波を捉えたのは人間ではない。 『そんなに好きなら告白すれば良いんじゃないの?』  びっくりして振り返ったメグの視界の先には、朝食を待つ者達の姿しか映し出されなかったので、空耳かと思ったが、突然、目の前10cmに小さな姿は大きく映し出される。 『きゃっ?!』  驚きの声は、辺りを一瞬の無音にしたが、驚いた理由を理解すると、無音から複数の笑い声に変わった。 『こ、この生き物は何なの〜?!』 『そいつは妖精さ。初めて見るのかい?』  エルダの声が耳に届いたメグは、何時の間にかその場にしゃがみ込んでいて、激しく首を上下に動かした。その後に、宿屋の食堂に溢れている客達は奇怪な行動を目にする。 『・・・。』  メグの父親が、その妖精に向かって祈りをささげていた。それ自体は何ら変な事ではないが、妖精相手に祈りをささげた者を見たのは初めてのエルダである。 『何やってるんだ、お前の親父は・・・。』 『わからない・・・。』  数秒間の沈黙を終えて、メグの父親は何故か嬉しそうだった。 『こんな至近距離で妖精が見れるなんて、生涯に何度もある事じゃないぞ。』 『それは、そうかもしれないけど・・・。』 『私もこんな事する人は初めて見たわ。』  とは、妖精のファリスの台詞であるが、保護区域から外へ出る事が殆ど無いのであれば、それは当然だとも思える。気分の良くなったメグの父親は、鼻歌混じりに厨房で料理を作り始めた。全員の注文を個別に取るのは面倒な上に効率が悪い為、特製モーニングセットと言う当日限定のメニューを臨時で用意して、同じ物を大量に作っている。全員に料理が行き渡る頃になると、夜空は朝焼けによって一部を赤くし、更に大部分を青く染め上げた。そんな時である。 『エルダって女性は居るかな?』  入るなりいきなりそう言う一人の男は、エルダを見付けると困ったような表情で、苦情を言った。 『貴女の言う通りにやって、ちょっと他の町に行って帰ってきたら、俺が死んだ事になっているのは何故だよ?!白月団が無くなっているのは良いとして、黒陽団まで解散しているじゃないか!!』 『それは、まぁ、予定外の結果ってやつだ。ユリウスにはもう会ったのか?』 『どの面下げて会えば良いんだよっ!』 『その面で良いだろ。』 『あのなぁ、それじゃ答えになってな・・・いっ?!』 『待ってたぜ、アレン。』  宿屋の二階に続く階段から降りてきたのは、バレッタも良く知る人物である。 『ユリウスさん?!』 『お前が生きていて安心した。今はそれで十分だ。だが、一つ許せない事がある。』  冷静過ぎる声とはアンバランスなほどの鋭い眼光をエルダに向けた。 『もっと他にも方法はあったとは思わんのかっ?!』  怒号のような声にも、エルダは眉一つ動かす事無く、平然とコーヒーを口に含んで、味を堪能した後に答えた。 『あっただろうな。』  相手の怒りを無視して、もう一口飲んだ後に言葉を続けた。 『確かに他に方法なんてたくさんあるが、この街の平和を取り戻すには最も有効な手段だったと思うぞ。それに、お前等は根性が腐ってるからな、それを洗うのに必要なだけの血は流れただろ。』 『こんな小娘の手の平の上で踊らされたのかっ。』 『と言うか、時間が無かったからな。もう、長居する理由も無いし、この飯食ったら俺は帰るぜ。』  バレッタは小さく驚き、メグは大きな声を出して驚いた。 『帰っちゃうの?』 『そりゃ、俺だって自由な冒険がしたいからな。妖精(ファリス)を連れて帰ったら、やっと宝剣探しの旅が再開できるのさ。詳しい事を知りたかったら伯爵に訊け。俺はもう、自分の責任以外を背負った旅なんてしたくない。』 『伯爵に訊けだと・・・?よくもそんな事が言えるな。』 『もう1回言ってやろうか?』 『そう言う意味ではない!お前なんかみたいな小娘が・・・・・・。』  ユリウスは奇妙な表情になって硬直し、その後の言葉を続ける事が出来なかった。視線は固定され、宿屋の入り口に向けられている。そこにはアレンが居るのだが、もう一人の大きな影が揺れている。 『良かったなエルダ。お前みたいな男勝りなやつでも女として認めてもらえる様だぞ。』  その口調、その声質。その大きな身体。エルダはそれが誰であるかすぐにわかった。美味しいコーヒーが一気に不味くなって、表情を歪ませる。 『げぇ・・・なんでこんなところに親父が居るんだよ・・・。』 『一人娘の心配をしない親は居ないだろ。』  ユリウスが驚いたのは、この男の正体を知っているからであるが、更に驚いたのは、この男の娘がエルダだという事実である。 『レ・・・レイノルズ将軍・・・。』 『ほぉ、何処に行っても有名だな俺は。偽名を使う意味が無くて困るが。』 『有名じゃなかったら困るだろ。無名の将軍なんて聞いた事が無いぞ。』 『そいつ一理有るな。』  横で会話に参加する事無く傍観していたバレッタは、エルダの父親と同じ台詞をエルダが言っていた事を思い出して、小さく笑った。 『さて、その飯を食い終わったら付いて来い。』 『なんでだ?』 『何を言っているんだ。次の作戦を始めるに決まっているだろう。』 『ぉ、おぃ!ちょっと待てよ。俺は、もう、やるだけの事はやったぜ?』 『・・・国王から賜った大切な剣を壊したやつが、偉そうな事を言うな。』  バレッタは小さく笑っていたところに、新たなる事実を知って、今度は大きな声で遠慮無く笑った。 『なーんだ、エルダって、特別にこの任務に抜擢されたわけじゃないのね。』 『・・・うっさぃ!』 『しかも、剣を壊したからやってるって、まるで子供のお仕置きじゃないのよ。』  バレッタは、メグとファリスまで自分の方に引っ張り込んで、仲良く笑っている。 『それと、伯爵から報告も届いている。なかなか良い作戦だったが、少々、金を使い過ぎたな。罰として1年間小遣い無しだ。』  それを聞いたバレッタは、もう笑うのを止める事が出来なくなっていて、エルダの表情は更に歪んだ。  一国の将軍がたった一人で娘のところへ来るわけも無く、彼の後ろには数百人の兵士が従えていて、街の人達は、また新しい騎士団が創設されたのかと思い、過去の記憶から関わらない方向であったが、彼の兵士達はしっかりとした軍人教育を受けているので、上司から特に街の人と関わる事の無いように命令されていたから、大きな混乱は発生しなかった。その将軍が、愛娘の首に縄を付けて引き上げた数日後、黒陽団と白月団は完全に消滅し、その両団体で優秀な者は紅翼団に入団する事になり、このマタドゥーレの街は、エルダによって平和になった事実は残るわけだが、伝承として残すには最後のオチが強烈過ぎて笑いを誘ってしまう為、多くの人にこの話が広まる事は無かった・・・。  エルダがこの街を去って・・・いや、連行されてから一週間後。治安は以前とは比べ物にならないほど健全になっていた。酒を呑んでの乱闘騒ぎは増加したが、バレッタの直属の部下として働く事となったアルバトルの的確な兵士の配置法を取り入れると、発生件数は激減し、たとえ発生したとしてもすぐに沈静化され、市街戦など発生する事も無く、紅翼の騎士団は、逆に暇を持て余すようになっていた。他の騎士団に所属していた物の半数以上は職を失う結果となってしまったわけだが、優秀である事を認められた者は、アルバトルに限らず、ユリウスも同様に紅翼の騎士団に席を移して従事する事になった。 『いまごろ、あのおてんば娘は何やっているのかしらね?』  たった一週間しか経過していないのに、その記憶が遠い昔のように思わせる。 『さぁてね。俺はあの娘とは違う形で会いたかったな。』 『エルダなんかの何処が良いわけ?』 『それは嫉妬ですかね、バレッタ隊長。』 『別にぃ・・・。』  アルバトルが笑いをこらえようとして失敗した頃、話のネタとなったおてんば娘は、母国の妖精保護区域と呼ばれる場所で、妖精のファリスと昼寝をしていた。父親であるヘルムート・レイノルズ将軍は、国王への報告を終えて、執務室で部下と共に昼食を食べている。 『しかし、閣下もお人が悪い。』 『・・・あいつを育てたのは俺だ。母親がいない性か、どんどん俺に似てしまって困っていたが、どうせ男のように育てるんならこれからはきっちりと教育せねばならん。』 『それにしても、閣下が大切にしていた剣とはいえ、あれは模造品でしょう。それだけでここまで使われていてはさすがに可哀相にも思えます。』 『知っていると辛いが、知らなければ運命だと思って諦められる。それに気が付くのはどれだけ未来(さき)になるかはわからんが、せっかくの好機だ。今まで甘く育ててしまった分もあるし、可愛い娘にはもっと経験を積んでもらわんとな、この世界では生きていけないだろう。』 『本気で軍人として育てるつもりなのですか?』 『軍人になれと言うつもりは無い。そもそもエルダ(あいつ)にはその気が全く無い。結婚なんて出来るようにも思えないから、せめて一人でも生きられるだけの能力は身に付けてもらうさ。平和な国はいくつもあるが、平和な世界は何処にも無いのだからな。』 『なるほど・・・。』  まさか自分が、親の手の平の上で踊らされているとも知らず、のんきに寝ているエルダは、後日のファリスの出産に立ち会う事も無く、再び冒険へと旅立つ事になるが、その時こそは親の手から逃れ、自由気ままな一人旅をするつもりでいる。だが、そのもくろみは見事に看破され、逃げきったと思わせて、実は父親の作戦に誘導されているのだ。彼女がこの世界で自由な旅が出来る日は、まだまだ遠かった―――    〜了〜